昭和48年01月14日 朝の御理解



 御理解 第3節
 「天地金乃神と申すことは、天地の間に氏子おっておかげを知らず、神仏の宮寺、氏の家屋敷、みな神の地所、そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、前々の巡り合わせで難を受けおる。この度、生神金光大神を差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたす。」

 御理解抄に、山口県の徳永という方に教祖様が、お話なっておられます。そのお話を、それを日記に記しておられた物が、ここに出ておりますから、読んでみます。
 「貴方は、どちらからお参りなされたか。」
 「私は、周防の国から参詣致しました。」
 「何里位ありますか。」
 「ちょっと、五十里位あります。
 「ようこそ、五十里も遠方から、お参りなされましたのう。周防の国は、何郡何村、お 名前は何と申しますか。」
 「周防の国、熊毛郡 大野村 徳永賢治と申します。」
 「大野か、小野か。」
 「大野であります。私は、眼病で参詣致しました。」
 「神様に一心に御信心なされませ。」
 どうぞ皆さん、教祖様がね懇々と御理解を下さっておると思うと、頂かにゃいかんとですよ。それをそのまま、日記にして有るのですから。後にはこの方は、偉い先生になられた方なんです。その方がそん時に受けられた御理解を、この様にして日記に書いておられたのが、今度新たな御理解抄の中に出ておる。ですから只新聞ども聞いておると言うのでなくて、教祖様がねこうしてお話になってると思うて、お聞きにならなければいけません。神様に一心に御信心なされませ。おかげはありますぞよ。
 遠慮はないから近こうお寄りなされ。お話をせねばなりません。周防のお方私の事を人が神、神と言いますが、おかしいでは有りませんか。何が私が神であろうぞ。私は何も知らぬ、土を掘る百姓であります。東京辺りから官員方が、沢山に見えまして人が神になるというが違いない。人が神になるのじゃと言われます。あの鴨居の名前をお見なされ。沢山に貼ってあります。これへおいでなされますお方が、神様であります。参る人を指差して神と言われたり、あなた方も神様のお子でありましょうが。
 生神と言う事は、ここに神が生まれると言う事であります。私がおかげの受け始めであります。あなた方もその通りにおかげが受けられますぞよ。あの日の大神様の事を今は事がよう開けましたのう。機会と言う事になりました。機会にもせよえゝ機会で有りますのうこの機会に、明かりを見せて貰い世話になれば、礼は言わねばなりません。物を借りて使えば礼を言わねばなりません。赤い物を見れば緋と言います。緋縮緬じゃの緋毛氈じゃのと言います。暗い所で振り回しても、明かりは取れませんのう。
 あの天照大神様と言うと、日本の神様であります。これは天子様のご先祖であります。この神様は、日本ばかりの神様ではない。三千世界をお握りなされます神様であります。この暦をそしるではないが旧の暦には、今日は麦蒔き良しネギ蒔き良しそば蒔き良しとあるが、大雨降りにでも今日は麦蒔き良し、菜蒔き良しそば蒔き良し、どうでも蒔かねばならんと言うて、大雨降りに蒔いては詰まりません。あれはお百姓衆が湿り塩梅も良し、その日を見合わせて蒔くと良いので有ります。
 また正月一日にはこの方に向かって大小便せず、又今年この方に向かって、大小便せずと有りますが、あの便所は年毎抱え直されません。それよりもお断りを言うて行く方がよろしゅうござんす。暦にあっても粋な獲物では有りませんが、あの牛肉を食うては悪いと言いますが、天子様から食べと仰せられるからは、何を食うても構いません。それで神様のおかげのないという事はありません。
 周防のお方今は何でもなられますのう、太政大臣にもなれます。なるという腰になれば何にでもなれます。ならん腰であればなりません。元々はお百姓は学問はせんでも、ええと言うことでありました。それで世だったので詰まりませんだった。今はお百姓でも、学問をせねばならん。と言う事になりました。して見ればお百姓でも学問の出来んと言うことは有りません。又婦人は学問は要らぬものと言う事で有りました。世だったので詰まりませんだった。今は婦人でも学問せねばならぬと、言う事になりました。
 所がご婦人の方が結構で良く出世が出来ますのう。して見れば信心もその通り、出来んと言う事は有りません。腰なら出来んと言う事は有りません。出来んと言うはする心でないので有ります。一代の中にいけんと言う事は、有りませんがたった一つ、いけんと言うことが有ります。寿命が満てて死ぬのが、どうしてもいけませんのう。あの病気になると強い物を食わんと、身体が弱うなります。脂強いものを食いさえすれば、身体が丈夫になります。身体が丈夫になり次第に病の方が負けます。
 脂強い物を食わんと身体が弱うなります。弱うなり次第病の方が勝って来る様になります。それで強い物を食うた方がええのでござんす。食うて悪いと言う事になれば、死ぬる人が何々が欲しいと言う時に、あれは脂強い物、あれは毒立てがあるから食わせんが良いと言う物は有りますまい。医者も始めとして何でも良い。食わしてみよと言いましょう。何々が一口食べたならば何々がいけた、まだまだ気遣いはないと言うて、一同の者が安心しましょう。それなら食うた方がええので有りますぞよ。
 又この世へは食いに生まれたのでありますぞよ。又身体へ灸を据えると傷がつきます。あれは人間の傷物と言う物であります。町へ買い物に行きても、これは傷物じゃによって、安うせいと言います。灸の後があれば人間の安物の分であります。あの立木へも鎌を当てると傷が付きます。その傷より大風が吹くと風折れがしますぞよ。素直に育った木は滅多に風折れはしません。人間もその通り神様よりきれいな身体を、下された者であります。それは傷を付け釘を立てたりすると、身体がちびます。
 そこで長命が出来ぬ様になりますぞよ。神様と言うものはあの境を良く知っておいででありますのう、ここの畑に菜が作ってあるそばが作ってある。上の町にも虫が沢山いる。下の町にも虫が沢山いる。中の町は神様にお願い申し、お水も振りかけたればひとつもいません。又ひと町の中でも溝を境に神様へお願い申した方には、虫が一つもいません神様と言うものはよう境を知っておいでで、なされますものでありますのう。
 又この先の方に綿を作る人が、今年は早稲綿がよろしいか、遅綿がよろしいか、神様にお願い申して早稲綿を作りましたら、余程よろしゅうおかげを頂きました。遅蒔きを作った者は、大雨が降って詰まりませんだった。それで綿を作った者が、持って参りました。今頃長州萩に信心する人が、八人ほどあります。あなたの所にもだいぶん、信心する人が出来ましたのう。同国同郡平尾町、磯部藤太郎と申す者、その際参り合わせており、磯部曰く「申し上げます。
 私の方におきまして、荒神と申す神がございます。私より四代前に祭ったもので有りますが、これは、何を祭ったものでありましょうか。」「それは、桜荒神と有れば、何でもよろしい。つい桜荒神でええのではありませんか。」「その桜荒神社へ、天地金乃神と他二、三神と五社祭りましては、どうでありましょうか。」「その桜荒神とある神様と、この神様と、御一緒に祭ると、この神様は神様の中でさえ、天子様所じゃによって、前のその社にある神様が、おられぬようになります。
 お互いの家にでも、天子様がお出でなされますと、お互いはおられません。外へ出て行かねばなりません。又近郷の人なれば、居合わせたる人申し上げたり。」「私は、鉱山を四年ほど、致しましたが、大損を受けましたが、もう一年やって、儲けられましょうか。どうぞ、儲けられますれば、もう一年やってみますが。」「それは、儲けられるやら、儲けられんやら、やってみねば分かりませんのう。」「周防のお方、今お帰りではどうじゃ。私の話は満てると言うことは有りません。
 書物なんぞを見てお話するのならば、これまで一切話たから、止めると言う事がありますが、それではない。いつまで話しても満てると言う事は有りません。」「私は、風が悪くて帰れません。」「それなら、陸をお帰りでは、どうじゃ。」「私は、舟を貸しきりにして、参詣致しました。」「そんなら、どうもなりませんのう、御祭日は、何日でありますか。」「毎月二十一日であります。私は、毎日帰ります。どうぞ、大本社の御構社にご加入致しとうございます。」「ここには、構社と言うことはありません。
 国元へお帰りなされて、その上構社をお取り立て信仰なさるがよろしゅうございます。」「左様ならば、そう致しましょう。」と有ります。御理解三節を頂いて、今聞かせて頂いた所からですね、色々分らせて頂くのですけれども、もう誠に言うなら一つ一つの事柄を、道理を分けて噛んで含めるようにお話をなさっておられます。その様なお話を頂いて、沢山の人が助かったんです。まぁそこにお座りなされ。話を聞いて貰わなければならんと。こう始めから言っておられます。
 今の中から随分私共がおかげを頂く話が、幾つもございました中でもね。天地の親神様という方は、三千世界を一握りにしておられる神様だという所などね。天地金乃神と申すことはと御理解三節に有りますが、天地金乃神様と申す事は三千世界を一握りにしておられる神様なのです。ですから例えばその時分の暦の事を、そこに置いて言っておられる。この暦は何月何日にはそばを蒔いたが良い。今日はネギを植えたが良いという風に書いてあるけれども、大雨の日でもやっぱり植えますかという風に言うておられます。お湿りのあった後にそしてそれはいつでも構わん。
 お湿りのあった後に、蒔いたらそれが一番良いと言う説明をなさっておられますですね。もう本当に当たり前の事を当たり前に、それを私共が天地金乃神様の事を知らないから。天地の親神様がこの世の中は、一握りにしておられることを知らないから、色んな理屈を付けて日柄を言うたり方角を言うたりして、思い違い考え違いをしてそういう物が、巡りになって難儀をしておると仰せられるのですから。今聞いて頂きましたような、生き方にならせて頂く事が、金光様の御信心ですよね、
   どうぞ。